じゃがいもの発芽日記

じゃがいもが発芽したよ

自分の歪み

昔、実の姉に「あなたは彼氏のことを愛していない」と言われて、本当に怒り狂ったことがあった。

 

怒るのは図星の証拠、という言葉があるが、そうだったのかもしれない。

だが、同時に今でも愛していたのに、と思う気持ちもある。

人の感情というのはよくわからない。

 

最近になって、自分の恋愛観が恐ろしくゆがんでいることに気付いた。

とにかく、愛されたくて、誰かの一番になりたくて仕方がない病気だった。

友達の間はいいのに、彼氏になった瞬間に発動する呪いで、私はそれに大分苦しめられてきた。

 

ここのところ、いろいろ考えるうえで、これが自分に近いのかもしれないと思う部分があった。

それは、幼児的願望、というものである。

幼児的願望についてはこちらを参照してもらいたい。

私はまさにこれで、また私の親も神経症的な部分があるように思う。

だからこそ、甘えさせ方や、いろんなものを受け取るのが上手ではないのかもしれない。

親も人の子なのだから、できないことはあるのだ。

それをどうこう言ったところで、今の私の状態がよくなるわけではない。

とにかく、自分の穴は自分で埋めなければならない。

結局、愛されて育った人間と、愛されずに育った人間は、まったく違う生き物なのだということを受け入れるしかない。

姉は、私と妹に比べて、愛されていたのか落ち着いた人間になっているが、私と妹の欠乏ぶりは、なかなかひどいものがある。

そんな中で、妹は自分を変えることに成功して、そして自分を受け入れてくれる夫を見つけたことで、安定の一途をたどっている。

私はというと自覚したのも今だし、結婚生活は破たんしたし、もはや手遅れ感がすごい。

だが、私は「幸せになることを諦めたくない」という強い気持ちがある。

だからまず、私は幼児的願望を抱えたままここまで来てしまったこと。

でも、ここまで生きてこれたこと。

その運命を受け入れて、この私を受け入れてくる相手を探すしかない、ということ。

を、念頭に置いて生きていくしかない。

 

私は、ウサギやネズミのようにはなれないのだ。

ゴリラだから。

でも、ゴリラにはゴリラの幸せがあるはずなのだから。

それを見つければいいのだ。

私のシャバーニはどこにいるの。

 

ちなみに、幼児的願望を持っている人は、無意識に自分を傷つける人間を選んでしまうらしい。

 

恐ろしい。

見る目がないとはまさにこのこと。

意識をして相手を選ばなければならなかったのに、と今更ながらにあのころの自分に言ってやりたい。

過去には戻れない。

未来は分からない。

だから、今を生きるしかない。

 

明日のゴリラは、元気にしているだろうか。

元気にバナナをむさぼっているだろうか。

 

少なくとも、こんな悲しい気持ちでウサギを見つめるようなゴリラじゃないなといいなと思う。