じゃがいもの発芽日記

じゃがいもが発芽したよ

呪われだした体

離婚時の無理がたたったのかもしれない。

当時、3日3晩寝ずに活動し、とにかく海を泳ぐマグロのごとく離婚にむけ動き続けた時期の余波がここにきて私を襲った。

体の節々の痛み、悪寒、吐き気、気持ち悪さ。

その状態での育児が、こんなに辛いとは思わなかった。

いつもなら軽々と持ち上げる娘が、鉛のように重い。

夕飯を食べさせるのも一苦労で、さすがにお風呂はお休みをさせてもらった。


こういう時だ。


こういう時、シングルマザーが辛いと思う。

普通の夫婦でも、助けあってくれない人もいるかも知れないけど、

それでも、あるのと、ないのとでは、感覚が違う。

一人でなんとかしなければならない時ほど、あぁここに誰かいてくれたら、と思う。

こういう時に、ろくでもない男に捕まるんだろうなと思う。

それでも、こういう時に限って、自分はこれからもずっと一人なんだろうか、とか、不安になってしまう。

それでもいいと思った日もあるのに、こういう時は本当にダメだ。

早く体を治そう。

体を壊せば、心も弱る。

弱った心は、ろくなことを考えない。

悔しいと思う私と、独りよがりだと思う私

境界性人格障害だとか、幼児性だとか、アダルトチルドレンだとか、鬱だとか、私の中にたくさんの問題が詰まっている。

 

それはパンドラの箱みたいだ。

 

でもギリシア神話の中では、パンドラの箱の中に、最後に残っていたものがある。

 

それが、希望。

 

 

「ここにいてもいいよ」と言われる場所がほしい。

 

昔、そう思っていた。

 

今は、もう思ってない。

 

場所ができたのか、と言われればそうではない。

 

夫に不倫されて、私はひとりになって、元に戻った。

 

でも、残ったもの。

 

それは子供だ。

 

子供がいて、そこが私の帰る場所になった。

 

ここにいてもいい、という場所がほしいんじゃなくて。

 

帰る場所がほしかったのか。

 

今、気づいた。

 

ブログを書いてると気づきがある。

 

ブログを書いてみるといい、というのは本当なんだと思う。

愛情飢餓感と幼児性

満たされていないと思っている

今でも。

何も不満はなく、傍目から見れば幸せな人生で愛に満ちているのに、

なぜか私は、飢えている。

愛があったことを認められず、愛なんてなかったと思っている。

わたしは、このカゴを捨てられない。

愛されなかった飢餓感、思う通りの返事を返してほしい幼児性、過去に受けた辛い仕打ち。

そんなものが詰まったカゴにしがみついて、

わたしは可哀想なんだ、辛いんだ、苦しいんだ、と思う自分を選び続けている。

そのカゴの中身は、どんなものが入ってるの、と聞かれて、

この中は汚れたものでいっぱいなんだ、と言うと、

そのカゴの中身は本当に汚れているの?

と聞かれた。

そう言われて、カゴの中を見た。

色はよくわからなかった。

ただの「出来事」を、あなたが汚れているように感じているんじゃない?
本当は、その中身は汚れてもいないし、綺麗でもなく、ただ「そういうことがあった」っていうだけなのかもね。

そう言われた。

カゴの中身を、再び見てみる。

やっぱり、色はわからなかった。


きみはきっと、幸せになりたくないんだろう。

不幸でいつづけたいと思ってるんじゃないのかな。


そうも、言われた。

傷ついた自分でいる方が、楽だからかもしれない。


いつだって、自分が自分を選んでいる。

分かっていて、変えられない思考回路に悲しい気持ちになる。

変えられないのか、変えたくないのか。

私は、難しいと思ってることは、本当はもっと簡単なのかも知れない。


私はまだ、自分にも、他人にも期待してしまっている。

不倫はダメなことなのか②

改めて、不倫はダメなことなのか、考えてみた。

不倫はきっと、ダメなことではないのだと思う。

それを、

  許せる人間

  許せない人間

がいるだけのように思う。


私は許せない側の人間で、

正しい、とか、正しくない、とかじゃなくて

「わたし」は「不倫されること」を「許せない」だけです。


正しさを盾にすることは恐ろしく簡単で、自分を剣のように鋭くして相手をズタズタにする権利を得ているような気さえする。

でも、結局本質の部分は「自分が傷ついている」という1点なのだと思う。

傷ついているから、相手も傷つけたい。

そんなことをしても、自分の傷は全然癒えないのにね。

私はまだ、正しさに心が暴走するときがある。

まだ3ヶ月なのだから、当たり前なのかも知れないけど。

許せない人間だから、一緒にはいたくない。

だから離婚した。

脳みそがチンコでできてる人間とは一緒に要られないし、

タイプの男の子の条件でよく出る「優しい人」ですらない、

こちらのことなどお構いなしに自分の欲求だけを追い求めるタイプとは一緒にいられない。

あぁ、まだ憎しみが強いなぁ。

まだまだ、苦しい気持ちと同居中だ。

早く無くなるといいなぁ。

不倫はダメなことなのか

不倫はダメなことなのか。

これは私の頭の中をぐるぐる回っている問題である。

ダメなことなのか、そうじゃないのか。

それが分かったところで何なんだろうか。

苦しい。

なんでこんなに毎日酸素が薄いんだろう。

生きづらいんだろう。

死ねなくなって、死ねないからこそ、自然死が尊い

病死が尊い

あの日に私は頭でも打ち付けて死んでしまえばよかったんだ。

なんでこんなにも、

こんなことで、

自分の中身がいっぱいになってしまうんだろう。

不幸なんかじゃない、幸せなこともある。

生きている。

何でもできるのに、何にもできない気がしている。


気がつけば、自分を責める言葉で頭の中はいっぱいで、

復讐心に苦しめられて、

そんなことをしてもどうにもならないと、

自分を押さえつけるのに必死だ。

馬鹿みたいだ。

向こうは楽しくやっているのに。

馬鹿みたいだ。

早くゴールテープが切りたい。

自己啓発本

目の前にずらっと本が並んでいる。

私は本が並んでいるのが好きだ。好きな時に、手に取れるのが好きだ。

だから、しまい込まずに目に付くところに置いている。

ここ最近はこの本棚に、自己啓発本が増えてきている。

姉から勧められたワタナベ薫さん、浅見帆帆子さんの本がなかなか読むことができないまま積まれている。

キラキラ企業女子、の本である。姉にそう言ったら怒られるかもしれないが。

大変マインドが高く、引き寄せの法則を訴えている。

私からするとスピリチュアルというのは少し眉唾でもある。だが、それが好きでもある。

このちょっとしたアンバランスさが、スピリチュアルのスパイスのようなものなのではないかと思う。

信じたいけれど、信じがたい。だが、信じてみたら何か変わるかもしれない。

そういう安易さの表裏一体、というところがミソだ。

ちなみに、私が好きな本はメンタリストDigoさんの本で、メンタルサプリ、という本である。

心理学の面から、科学的にスピリチュアルに切り込んでいるところが特にお気に入りで、眉唾ものも裏にはそういった心理学的要素が隠されていると思うと信じる気になれる。

ん、待てよ、と心に問いかけをする。

スピリチュアルが好きな姉。科学的根拠に基づいたものの方が好きな私。



全然違うじゃないか。



情けないかな、そんなことに今更気づく。

積まれている本が読まれないはずだ、と苦笑しながら、借りた本を手に取る。

とりあえず、読んでみようかな。

姉と自分の違いを、明確に感じられるようになるかもしれない。

新しいパソコン

前回のブログにも書いたけれど、新しいパソコンがやってきた。

白いボディのかわい子ちゃんは、価格ドットコムで一位で、コスパがいいという理由だけでやってきたパーフェクトボディちゃんなのだ。

少し大きいけれど、それなりに使えるしレスポンスも早い。

満足している。

さっそくダウンロードした音楽を聴きながら、いろんな文章を書いていく。

最近練習していなかったせいで、本当に文章がへたくそになってしまっているな、と思う。

その練習を兼ねて、このブログを始めたので、いつか実を結んだらいいなと思う。

音楽と、文章が書ければそれでいい。

それだけのために購入したパソコンなので、とても満足している。

母がウイルスバスターの三台目の権利を私にくれたので、大変安全に過ごさせてもらっている。

ありがたいことである。

私の初代のパソコンを買ったとき、10万円ほどしたことを覚えているけれど、今となっては4万円で買える時代になってしまったんだな、と思う。

進化はうれしいし、安いのはうれしい。

安かろう、悪かろう、ではよくないとは思っているけれど、やっぱりなんだかんだでコスパを考えてしまって、安ければ、と思いがちな自分もいる。



自己啓発本を読んでいると、良いものを持つことが大事だ、と書かれていることが多い。

特に女性向けのものは、品質の良いものに包まれることで自分のマインドを高める、と書かれている本が多いように感じる。

私は必要なものが、それに応じた金額であればいいと思っている。

品質が、というよりも、自分が求める品質であればいい、としか思っていない。

高ければ、高いほど良いのだろうけど。

私はそこまでを、パソコンに求めていないというだけなのだ。



好きな音楽と、文章。ちょっとの写真のスペースさえ確保できれば、それでいい。

それが、私にとっての、良いもの、である。